カワコッチ

山口将門 | マサコー山口木工

2021. 06. 08.
Text: photo creation pupa
Photo: photo creation pupa

どんなに良い農工具のための『刃』があっても、道具として使うにはしっかりと握って作業をするための『柄』が必要です。三条市は刃物の製造が盛んに行われているイメージですが、その刃物を実際に使えるようにするための『柄』を作ることも欠かせない産業の一部です。今回ご紹介するのは、創業から40年にわたり地場で生産される農工具の柄を作り続けてきたマサコー山口木工。こんな作業に使う柄が欲しい、形はこういったものが欲しいなど数多くのオーダーに対応し、ものづくりをしているマサコー山口木工の2代目山口将門さんに話を聞きました。

鍬、鎌、斧、ハンマー。燕三条で生産される農工具は、柄だけでも製品にならないし、刃だけでも製品にならないものばかり。これらの製品は、鍛冶屋が作った刃に柄がつくことによって初めて道具として使えるものになるのです。まさに刃物の女房役としての役目を果たしてきたマサコー山口木工。鍛冶屋や金物卸、個人からなど幅広い顧客からの要望やオーダーに応えることもあります。自らが元請けとなり、自社でできない工程は協力会社に依頼することもあるそう。そのためには横の繋がりがとても重要で、この加工はどの企業にお願いしようなどの考えを巡らせながら仕事を請けています。

現在専務を務める山口さんが家業に入ったのは、25歳のころ。幼い頃から木工業を継ぐことはずっと頭の片隅にあったそうですが、すぐには家業に入らず、高校を卒業するとスーパーマーケットの鮮魚コーナーで2・3年働くことに。高校生のころに寿司屋でアルバイトをしていた経験から魚関連の仕事に興味を持ったといいます。ただ鮮魚コーナーの仕事はかなり大変だったこともあり、実務経験を積めば受験資格がもらえると言われた調理師免許の資格を取得して、飲食店へ転職。経営者が多く来るお店で、今まで接することのなかった経営者の話を聞く機会にも恵まれました。当時20歳くらいだった山口さんにとって、この経験は今後の人生を考える上で良いきっかけとなりました。その後25歳のときに、マサコー山口木工の工場が保内に移ってくるタイミングで入職。「親が大変そうに仕事をしているのも感じていたし、親からもそろそろ会社に入ってくれないかと打診を受けたので親を手助けするつもりで入職を決めました」と山口さんは当時を振り返ります。また、父親が25歳の時に作った会社に自分も同じ年齢の時に入職したことに大きな縁も感じていたそうです。

「木を加工するためには加工前に乾燥させる必要があるのですが、父親が創業したときは発注が多すぎて乾燥する時間も待てないほど仕事が忙しかった。当時の仕事量を知っている社長とはものづくりの考え方でしょっちゅう衝突していました」
とにかく数をこなすという社長の考えと、製品を使うお客さんが手に取るときに喜んでもらえるようなものを作りたい山口さん。そんなものづくりへの方向性で食い違っていた意見が、自社のHPをつくったことをきっかけに変わり始めます。それまで柄だけを作っていたものの、「木工の技術でこんなことができる」と発信したところ問い合わせが徐々に増加。農工具の柄を作ることが多かった仕事が、アウトドア用品の柄の発注が増えたといいます。以前とは違うものを作り始めると、社長のものづくりの考えかたも柔軟になり、売上も増加。方向性の違いによって生じていた軋轢が少し解消されていきました。
「木工をしているけど木工をしない。木だけで何かしようとせず、木にとらわれず、木だけでは限界があると知る」
これが山口さんの仕事の信念です。木と異素材を組み合わせることで製品のアクセントになる。木はそれだけでも主役にもなることができるが、木だけだと重厚感が出るものの少し重すぎる。脇役でなく欠かせない存在として経年変化を楽しめる木工製品をつくっていくことが目標だそうです。

いまの課題は燕三条の木工屋の多くがOEM生産のみになっていることだと山口さんは言います。OEMのみの仕事からいかに脱却し、自社ブランドをどう作っていけるか。そう考えたときにヒントとなったのが『燕三条 工場の祭典』です。他の工場との横の繋がりや、エンドユーザーの顔が直接見れたことによって改めて「手にとってもらえる製品を作りたい」と思い、自社ブランドの『mumei』は生まれました。コロナウィルス禍のステイホームが余儀なくされる中で手作りできる木工キットや、切出刃物とコラボしたアウトドアナイフなど続々と新商品を発売。「今後も作りたいアイディアはたくさんあるから少しずつ試作を繰り返して形にしていきたい」と語ってくれました。

そんな山口さんにとって、何よりの楽しみは旅に出ること。電車に乗っている間に味わえる非日常感が好きで、コロナウイルス感染拡大前はよく旅行に出かけていたそうです。一番遠くだと三重県の伊勢神宮にまで鈍行列車で行ったことがあるんだとか。その土地で美味しいものを食べたり、まちを散策することで、木とこんな素材が合わさったら面白いかなとものづくりの着想が思い浮かぶこともあるそうです。

マサコー山口木工の事務所の窓からは保内の山々がよく見えます。「さすが植木のまち保内ですね」とお伝えしたら、いずれは「新潟県産、三条産の木でものづくりをしたいです」と答えてくれました。日本の国土の2/3は森林ですが、地形上伐採が難しいため、北米から輸入された加工用の木を使うことが多いそうです。「保内の山にある木材を加工し、植林をして資源を枯渇させず持続可能なものづくりをしていきたい」と山口さんの冷めやらぬ熱意を感じた取材時間でした。